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2010/10/17

なぜ天鳳の雀荘モードは失敗に終わったか

天鳳の雀荘モードが先週はじまったが、思った以上に過疎ってるというのが率直な印象。しかも、開始当日よりもだんだんと人が減ってる。

なぜに失敗に終わったのだろう。まあ、まだ結論出すのは早そうだけど、ネット上での人の動きのウォッチする意味でも結構面白そうな案件なんで、自分なりに要因をつらつらと挙げてみたい。

モチベーションを保つ目標が持ちにくい

  段位戦の低級の段階では、最初の数回ですぐに段位アップするわけで、これは、ゲーム開始当初のとっつきやすさを良くしている。麻雀を数字で解析しようとしているとついつい忘れがちになるけれど、武道や書道、囲碁将棋などでも段級制度というものは、そもそも、強さや上手さを正確に数値化するためのシステムというよりも、つらい稽古を継続するモチベーションを保つためのシステムという意味合いが強いわけだ。
(なので、将棋の町道場の初段ってのは強さの指標としてはほとんど意味がない。)

雀荘モードには、より麻雀の強さを正確に表せるであろうRateシステムが導入されたわけだけれど、残念ながらこのRateシステムは段位制度ほどには、モチベーションの向上には役立たなさそう。

ご祝儀麻雀はつまらない
ギャンブルとしてはともかく、頭脳ゲームとしてみるとご祝儀麻雀は正直面白くない。麻雀のもつ複雑な役の存在がほとんど意味がなく、裏ドラがのるかどうかの勝負になってしまうルールは、そもそもが雀荘側の都合で生まれたもので頭脳ゲームとして麻雀を楽しむためにはあまり有効なルールではないと私個人は思う。今回の雀荘モードの過疎っぷりは、多くの人が、私と同様に考えていたのかもしれない。


雀荘人口<<<ネット麻雀人口。雀荘の練習なんかどうでもいい
ネット麻雀人口と雀荘人口は意外とかぶらないのかもしれない。
ルールが雀荘と近いかどうかなんてどうでもよくて、とにかく統一したルールでありさえすればいいって考えている人も多いかもしれない。だから、多少納得いかないルールでも、一番人が多そうなルールでプレイする人が多いのかもしれない。

宣伝が足りない
開始当初、課金していないと、若葉でもプレイできないような印象を持たせてしまい。無料でプレイできることを知らない人もいるかもしれない。しかし、それにしても開始当初からどんどん人が減ってるのであまりこれが原因とも思えない。


鳳凰卓上位陣の影響
段位モードの東風戦、東南戦のプレイ人口の流動などを見ると、天鳳では、鳳凰卓上位陣の行動がマジョリティに大きな影響を与えている感がある。鳳凰卓上位陣は、段位戦で明確な自分の目標を持っており、いまだその目標達成にむけてプレイしている。その影響をマジョリティも受けているのかもしれない。


まだ、βだから
まだ、β版であり正規スタートしたら始めようって人が多いかもしれない。いっそ、最初からβを名乗らずに正式スタートと名乗ってしまってもよかったかも。「永遠のβ」ってのはちょっと前にIT業界で流行したキーワードだけど、これはもう古い考えなのかもしれない。
(課金の関係でそうも行かなかったのかも知れないが)

ユーザの意見が未だ反映しきれていない

これは意図したことではないと思うが、段位戦の4位回避というポイント変動制度は、行動経済学的というかプロスペクト理論的な意味合いでの行動心理としては理にかなったシステムになっている。しかし、雀荘戦のRateは、大衆心理には厳しいシステムになってしまっている。

 段位戦のポイント変動システムも当初は単純に101のシステムを踏襲しようとしただけで、決して大衆心理的な最適解を目指したわけではなかったように思える。ユーザの意見を取り入れてシステムを変更していく間に、自然と行動経済学的に理にかなったシステムになっていった訳だ。雀荘モードも、今後ユーザから提案された意見をシステムに取り入れていくうちに大衆心理的に理にかなったシステムとなり、もっと繁栄する可能性は十分ある。

 天鳳が数多あるネット麻雀と一線を画している大きな要因は、β版の半熟荘のころから、ユーザの意見をどこのネット麻雀よりも積極的に取り入れていったことにこそある。そういった意味でも、今後もユーザの意見を積極的に取り入れていき、天鳳が発展することに期待したい。

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